腕時計と人類の歩み
何千年にもわたって時計は時間を計り、その経過を追うために用いられてきた。現在使われている六十進法の時間単位は紀元前約2000年にシュメールで考えられたものである。1日を12時間2組に分けたのは古代エジプト人で、巨大なオベリスクの影を日時計に見立てたことが起源である。彼らはルクソール近郊にあるアメン=ラーの地 (Precinct of Amun-Re) でおそらく最初に使われたとされる水時計も作っている。水時計は後にエジプト以外でも用いられるようになり、古代ギリシアではこれをクレプシドラの名で呼んでいた。同じころ、古代中国の殷では、水があふれる仕組みを利用した水時計が発明された。この水時計の技術はメソポタミアから紀元前2000年ごろにもたらされたものと考えられている。その他、中国、日本、イギリス、イラクではロウソク時計 (candle clock) も使われており、インド、チベット、一部ヨーロッパでは日時計が広く使われていた。砂時計も使われていた。初期の時計は日時計が多く、曇りや夜には使うことができなかった。よく使われたのはグノモン (gnomon) と呼ばれる形のものであったが、あくまで日時計なので、緯度で値が変化した。
時計に脱進機 (Escapement) (歯車を一定方向に回す装置)を初めて用いたのは8世紀の中国であり、水時計にギアとおもりを組み込んだのは11世紀のイスラム教徒 (Inventions in medieval Islam) であった。脱進機に王冠歯車 (verge escapement) を用いたのは14世紀のヨーロッパで、16世紀にゼンマイ式の懐中時計ができ、18世紀に振り子時計ができるまで長い間使われた。20世紀になると、クオーツ時計、さらには原子時計へと置き換わっていった。クォーツ時計は作るのが簡単で正確なので、腕時計によく使われた。原子時計はこれよりもはるかに正確なので、国際標準時間「国際原子時」をきめるのに使われている。原子時計は協定世界時にも使われている。
11世紀以降の機械時計には、動くための力、一定の速度で動かすための調速機、計った時を外部に伝える部分の三要素がある。動力としては、重力、ぜんまい(ネジ)、電気など。調速機としては、振り子、テンプ、音叉、電力線、水晶、原子など。外部に伝える部分は、一般的には針(アナログ)や文字(デジタル)、音など。
1970年代頃までは、腕時計や置時計では動力にぜんまいを使った機械式、掛時計では電気(トランジスタ)式がほとんどであったが、1980年代以降、現在のほとんどの時計は、動力に電気、調速機に水晶振動子を使ったクォーツ時計となった。しかし、決して機械式時計が廃れたわけではなく、その完成度の高さから機械式時計の愛好家は多い。
クォーツ時計は一秒間に 32,768回(2の15乗回)振動する (32.768kHz) 水晶振動子を用いて時を刻む。特にこの数値でなければならないわけではなく、適当に分周(周波数を小さくする電子回路の動作)をすると一秒が得られやすいために用いられているだけで、他の周波数の水晶振動子が用いられることもある。
また、近年はセシウム原子の振動 (9,192,631,770Hz=9.19263177GHz) を用いた原子時計の時刻を基に発信された電波(標準電波、JJY)を受信し、クォーツ時計の時刻を自動修正する電波時計も利用されている。日本での標準電波の発信基地(電波送信所)は、福島県田村市都路町(大鷹鳥谷山、40kHz)と佐賀県佐賀市富士町(羽金山、60kHz)の二箇所。
一方、動力については、電池交換の手間を省くため、腕時計の分野では手の動きによる発電機の回転 (AGS) や、文字盤に組み込まれた太陽電池などにより発生した電気を、二次電池、もしくはキャパシタに充電しながら作動するタイプが出てきている。
また時計は電子機器の多くにも内蔵されている。これは、ビデオの録画予約や、電子レンジの加熱時間など、タイマーとして使われる。
パソコンなどのデジタル回路では、日付や時刻を刻む時計を持つほかに、CPUクロック周波数を使って回路全体を同期させる場合があり、この場合もある意味で時計を持っているといえる。
時計の形態
腕時計
腕にバンドで取り付けて持ち運ぶもの。
懐中時計
鎖で衣服に取り付け、ポケットに入れて持ち運ぶもの。
ナースウォッチ
防水機構が進歩していなかった時代に、頻繁に手を洗う看護師がすぐに時刻を見られるよう6時側(12時側ではなく)に短い鎖を取り付けてあり、反対側にはピンがついていて、胸につけるようになっている。防水腕時計が当然になった現在でも、患者に怪我をさせないよう手に金属製品をつけない要請から一部で使用されている。
置き時計
棚や机の上に据え置くもの。
クロノメーター
航行する船舶内で正確に時刻を刻めるように、ケースに収められたり水平を保つ台座に取り付けられたりしている時計。
掛け時計
壁に掛けて使用するもの。
柱時計
掛け時計が大きく重かった時代には柱に取り付けていたためこの名がある。
親子時計
親時計からの30秒ごとのパルス信号で子時計を駆動するシステム。
からくり時計
毎正時などに、装飾が動いて時刻を知らせるもの。
鳩時計
鳥を象った木像が飛び出して鳴き声を模した音を出し、その数で時刻を知らせるもの。
花時計
主に屋外に設置される、花壇と一体となった時計をさす。
バーバークロック
針が逆回転し文字も裏返し文字となっており、鏡に映したときに正しい表示になる時計。理容店等前面が大きい鏡で覆われて時計を置くスペースがない場合のために製造されたことからこの名がある。
時計の歴史
有史以前より人類(おそらく他の動物にも)は太陽の位置などにより、朝-昼-夕程度の曖昧で不明確な時の概念を持っていたと考えられる。太陽の位置を知る方法に「固定された適当な物の影を見る」というのがあり、これはいわゆる紀元前約2000年頃に発明されたといわれる日時計である。
しかし日時計は晴天の日中しか利用することができない欠点がある。そのため、別の物理現象を使って時間の流れを測定する時計が考えられた。例えば特定の大きさで作った蝋燭や線香、火縄が燃える距離を使う(燃焼時計)、水や砂が小さな穴から落ちる体積を使う(水時計、砂時計)などであり、紀元前1400年 - 紀元前700年頃の間にエジプト、イタリア、中国などで考案された。
14世紀に入ると駆動軸の動きを制限する脱進機が発明され、これを使った機械時計が開発された。この時計は定期的に重錘を引き上げ、それが下がる速度を棒テンプと脱進機で調節するものであった。また1510年頃、ニュルンベルクの錠前職人ピーター・ヘンラインがゼンマイを発明し携帯できるようになった。
1583年ガリレオ・ガリレイは、振り子の周期が振幅によらず一定であること(正確には振幅がごく小さい場合に限られる)を発見し、振り子時計を思いついた。1657年クリスティアーン・ホイヘンスは、サイクロイド曲線を描く振り子および振り子に動力を与える方法を発明し、振り子時計を作った。
1654年ロバート・フックはひげゼンマイの研究を行い、それが振り子と同じく一定周期で振動することを発見し、1675年ホイヘンスはこの原理を利用した懐中時計を開発した。
中世ヨーロッパでの時計の意義は主に宗教目的で、神に祈りを捧げる時を知るためのものであった。しかし大航海時代に入り、天測および計時によって現在位置の経度を知るためには、揺れる船内に長時間放置してもくるわない正確な時計(クロノメーター)が必要となった。時刻にして1分の誤差は経度にして15分(1/4度、赤道上で28km)もの誤差となり、時計の狂いが遭難や座礁につながるという事故が多発したためである。1713年イギリス政府は「5ヶ月間の航海で誤差は1分以内」という懸賞条件に2万ポンドの賞金をかけ、1736年ジョン・ハリソンが見合う時計を完成させた。しかしハリソンが単なる職人だったためか、イギリス議会はいろいろと難癖を付けて賞金を払わず、40年に渡って改良を重ねさせた。ハリソンはジョージ3世の取りなしがあって、ようやく賞金を手に入れられたが、それは彼の死の3年前であった。
時計制作の歴史に革命を起こしたのが天才時計師として名高いアブラアン・ルイ・ブレゲであり、彼によって時計の進歩は200年早まったとされる。ブレゲはフランスを中心に時計制作を行い、トゥールビヨン、永久カレンダー、ミニッツ・リピーターなど、現代の機械式時計にも用いられている画期的な発明を数多く行った。ブレゲの顧客にはフランス国王ルイ16世、ナポレオン・ボナパルト、イギリス国王ジョージ3世、ロシア皇帝アレクサンドル1世などがおり、当時の最高権力者たちはこぞって彼に時計制作を依頼していた。
ブレゲがその生涯に制作した時計は約3,800個といわれ、数々の傑作を生み出したが、そのなかでも最高傑作として名高い逸品が、王妃マリー・アントワネットの注文に応じて制作された懐中時計「マリー・アントワネット」である。永久カレンダー、ミニッツ・リピーター、自動巻き、独立した秒針などを懐中時計サイズで実現するためにブレゲは持てる技術の全てをつぎ込んだが、王妃が断頭台にて非業の死を遂げたため、ついに完成品は王妃の手に渡ることはなかった。その後「マリー・アントワネット」は数々のコレクターの手を経た後、エルサレムのL・A・メイヤー記念イスラム美術館に所蔵されていたが1983年4月16日に盗難され、2006年8月に発見された。しかし真贋は未だ不明で、現在ニコラス・G・ハイエック社長指揮のもと、美術館に調査チームを送って目下調査中である。
その後、機械式時計は精度や携帯性を求めて様々な改良が施された。また、この17 - 19世紀初頭は、職人の徒弟チームによる手工芸的な少量生産から、いかに大量生産で高精度の時計を作れるか・定期的な保守を誰でもできるかという要求により改良がなされていった時代である。ぜんまい動力の掛かる駆動部の歯車はなるべく均一な力がかかるように歯車の歯数を互いに割り切れないようにする工夫もなされた。気温によって振り子の長さやひげゼンマイの弾性が変化することも精度に影響するため、20世紀初頭に熱膨張率の小さなインバー合金、温度によって弾性率の変化が小さなエリンバー合金が発明され、大きな貢献を与えた。各種あった脱進機も、現在のアンクル脱進機にほぼ絞り込まれていった。
20世紀後半動力として電動機が使われるようになった。従来の機械式時計に対し脱進機にトランジスタを使ったトランジスタ時計、調速機にRC発振回路を使った時計、音叉を使った音叉時計などが開発されたが、水晶振動子を使ったクォーツ時計、セシウム原子の振動を利用した原子時計等の高精度な時計の出現によりほとんど姿を消した。
クォーツ時計は廉価で小型化が可能で、一ヶ月の誤差が15秒ほどと実用上十分の精度があるため現在でも一般的に使われている。一方原子時計は2000万年に1秒くらいの狂いという高精度を持つものの、21世紀初頭の段階では廉価・小型化が難しい。そこで、原子時計による時報を適当な頻度で電波によって受信し、クォーツ時計の時刻を自動修正する電波時計も利用されている。またこれ以上に正確な時刻を知る必要がある(科学技術用途など)場合、GPSにより10億分の1秒オーダの正確な時刻が地球上どこでも容易に得られるようになったことも特筆に値する。
クォーツ時計が一般化する前の電気式時計では、アナログ式では電源周波数に同期して回転するサーボモータを使ったり、デジタル式では電源周波数より1秒毎のパルスを得て駆動していた(後者は現在でもビデオテープレコーダなどのタイマー予約用時計に使われることがある)。このため商用電源(日本では50/60Hz)は長時間で誤差が累積されないように進み遅れの制御がなされている。
一方機械式時計の新しい発明として20世紀末には、オメガによる#コーアクシャル脱進機が提案されている。これはアンクル脱進機以来の発明といわれている。また、セイコーによる#スプリングドライブの発明は、機械式時計と電子式時計の融合として興味深い。
時計産業は、17世紀には手工芸的な産業であり、イギリスの独擅場だった。しかし産業革命を経て18 - 19世紀のアメリカ西部開拓時代になると、正確かつ規格化された鉄道時計の需要が生まれ、アメリカに開発・生産の重心を移していった。ところが大量生産による粗悪化が起こり、20世紀初頭にはアメリカの時計産業は衰退した。対してスイス・ドイツなどで発展した精密機械工業が応用され、精密・堅牢であり高級感がありながら大量に生産されるシステムとして、特にスイスの時計産業が有名になっていった。
日本での精密時計の大量生産は20世紀に入ってから始まった。クォーツ時計の発明、さらに1970年代以降のデジタル化へのシフトにより、スイスの時計産業は衰退し日本へとその主軸を移していった。20世紀末には生産地がさらにアジア諸国にシフトしていった。
この頃にはクロノメーター時代の最高精度の何倍もの精度の時計が数百円で買えるようになり、デジタル時計なども実用的にはこれ以上進歩のしようがなくなった。ただしこういった安価な製品には粗悪感があり、物としての所有感がないため、スイス・ドイツ・日本の高級精密時計産業がまた盛り返した。『実用的な道具としての時計』と『高級な嗜好品としての時計』に分化していったといえる。
その後21世紀になると、携帯電話等に付属する時計を利用するユーザが多くなったため、前者の『実用的な道具としての時計』産業は衰退しつつある。後者の高級精密時計産業は、特にスイスの時計生産業者がグループ化され統合されて安定しつつある。また、ファッションブランドとの統合による資本の安定、他の産業(自動車・光学・精密・電子機器など)との複合経営による資本の安定や技術の応用・還元などにより、機械式時計もさらなる発展をしつつある。
その他パソコンの画面上ではタスクバーで時間が標準表示される他、主にガジェット、ウィジェットとして各種アナログ・デジタル時計が多数公開されている。
時計の動力と変遷
水時計
20世紀の中国科学史家ジョゼフ・ニーダムによると、メソポタミアから中国に水時計が伝わったのは、紀元前2000年から紀元前1000年頃の殷の頃である。漢の時代となった紀元前202年、水時計は外流式から、浮きと連動してバーが動く仕組みの内流式へと徐々に置き換わっていった。後漢の科学者張衡は、水時計内の水の流速がタンクの水位で変化するのを改良するため、タンクと水時計の間に予備タンクを設ける工夫をしている。南北朝時代の紀元550年頃にはオーバーフローさせることによって水位が(つまり底の水圧が)一定となるタンクが水時計に利用された。その詳細が後に沈括によって記録されている。隋になった610年頃、耿詢と宇文ィは水時計に初めて棹ばかり (Steelyard balance) を組み込んだ。ジョゼフ・ニーダムはこれを評して「水時計に棹ばかりを組み込んだことにより、水速を好きなように調整することができるようになった。当時は昼と夜とで時間の刻み間隔を変えていたが、それにも対応できるようになった。オーバーフロータンクも必要なくなった」と語っている。
紀元前270年から紀元500年の間、ギリシアのクテシビオス、ヘロン、アルキメデスや、ローマの時計学者、天文学者らはより精巧に水時計を改良していった。特に、流速を一定にすること、表示を見やすく華麗にすることに力が入れられた。例えば時間が来ると鐘を鳴らしたり、小窓が開いて人形が出てきたり、針や文字盤が動いたりするものであった。星図と組み合わされたものもあった。
非常に凝った作りの水時計の一つに、イスラム人によるもの (Timeline of Muslim scientists and engineers) がある。特に、アル=ジャザリが1206年に作った水時計は当時「他のどのものよりも優れている」と謳われており、彼はこれを「象時計 (elephant clock) 」と名づけて解説書も作っている。これは1年を通じて使える仕組みになっている。この時計にはタンクが2つ付いており、上のタンクは時刻表示機構とつながれており、下のタンクは圧力調節器につながれている。夜明けに合わせて水のコックを開けると、上のタンクの水が圧力調節器を通して下のタンクに流れ込むので、圧力が常に一定になるようになっている。
火時計
火時計とは、何かを燃やして、その燃えた量(もしくは燃え残りの量)を調べることで、火を付けてから経過した時間を計る時計である。
火時計の起源はよくわかっていない。記録としては520年の中国の古詩に書かれたものが知られている。この詩によると、夜間の時刻を知るのに使われていた。日本でも10世紀初頭には火時計が使われていた。
初期の火時計として有名なのは、9世紀イギリスのアルフレッド大王によるものである。この火時計は、72ペニーウエート(約110グラム)のロウを使った6本のロウソクを使ったもので、ロウソクの長さは30センチメートルであり、2.5センチ毎に印がつけられていた。1本のロウソクが燃えきるのに約4時間、2.5センチの印あたり20分であった。火が付けられたろうそくは風で消えないように木枠の箱に入れられた。
当時もっともすぐれていた火時計は、1206年にアル=ジャザリが発明したものである。これには文字盤が付いており、現在と同じような回転接続 (Bayonet mount) の仕組みが組み込まれていた。20世紀の科学史家ドナルド・ヒル (Donald Routledge Hill) はアル=ジャザリの火時計を解説して「彼のロウソク時計は、芯の周りに蓋がかぶせられているので、溶けたロウが安定して落下する仕組みになっている。余ったロウが取り除かれる仕組みになっているので、時間とともに一定速度でロウソクが軽くなっていく。ロウソクは浅い皿の上に置かれており、その重さが滑車を使って文字盤に伝わり、時を示すようになっている。これほど精巧な火時計は無い」と語っている。
ランプ時計
ランプ時計 (oil-lamp clock) というものもある。燃料油の減り具合で時を見るというものである。燃料油には、煤が少なく品質が安定していることから、主に鯨油が使われた。
機械式時計
時計を動かす動力はぜんまいばねや錘(おもり)である。ぜんまいばねはゆっくりとほどけながら動力主軸を回し、おもりはゆっくりと下がりながら動力主軸に撒きついた鎖を引いて主軸を回す。ぜんまいばねがほどけきったら巻き直し、おもりが下がりきったら巻き上げる。ぜんまいばねがほどけきるまで数日から数十日のものが一般的だが、万年時計のように長期間動き続けるものも作られた。
動力主軸(1番車)の回転は短針を回転させ、歯車を経て回転比を上げた軸(2番車)が長針を回転させる。さらにこれより回転比を上げた軸(3番車・秒針付き時計の時代には秒針に用いられるようになった)・最後の軸(4番車)にいくに従いトルクは小さくなり速度は速くなる。4番車には調速機構である脱進機(エスケープメント)が取り付けられ、速度を調節するようになっている。現代の代表的な脱進機はアンクル脱進機であり、腕時計・懐中時計から柱時計にまで応用されている。
保守
以前は数年に一回の分解掃除が必要とされて来たが、多数所有が当然となって使用頻度が落ちていることやオイルが改良されて来たことから十数年に一度で良いという意見もある。分解掃除は主にオイルを足すために行われるが、使用オイルを指定する機種もあり、また本当の適正量は素人には想像できない程少量であるし、また部品の破損・紛失の危険性も高いため絶対に試行してはならない。専門の業者に依頼することになるが、機械時計が主流でなくなってから久しいため、正しく分解掃除ができる業者が減り、また機械式時計ブームに乗ってちゃんと分解掃除ができないのに受け付ける業者も増えて来たことから、業者の選定にも注意が必要である。
アンクル脱進機
アンクル脱進機では、4番車の同軸に特別な歯車(雁木車)と雁木車を止めるためのアンクルが取り付けられる。アンクルの2つのツメは雁木車を2つの位置で止める。またアンクルは規則的に往復運動する振り子やテンプに動力を供給し、逆に振り子・テンプは押されると一定時間後に反対側でアンクルのロックを解除する。
アンクルが片側に振れたときには一方のツメは雁木車から外れて、もう一方のツメが雁木車に掛かるようになっている。雁木車の歯やアンクルのツメの形状には工夫がしてあり、アンクルのツメが外れて雁木車が回転する際に僅かにツメを押し返すようになっている。アンクルが左右に振れるたびに雁木車はちょうど一歯分だけ回転する。「チクタク」と聞こえる時計の音は、アンクルのツメが雁木車に掛かる際の衝撃音である。
振り子は重力加速度と錘までの腕の長さによってほぼ振動周期が決定される。テンプはクロノメータ・懐中時計から腕時計に至るまで振り子を携帯する必要性のためにこれを往復回転する輪にしたもので、周期は渦巻きバネの長さによってほぼ決定される。振り子の振れ幅・テンプの回転角度によって周期は厳密には異なるが、ほぼ一定とみなすことができる程度であるため、巻きはじめと巻き終わりで著しくトルクが異なるぜんまいの動力により振り子またはテンプがはじかれる強さが異なっても、ほぼ一定の周期が保たれるわけである。
コーアクシャル脱進機
ジョージ・ダニエルズによって発明された。アンクルが雁木車を止める際に大きな衝撃が加わらないような動作をするもので、衝撃による寿命低下を軽減すると期待されている。3つの爪をもつアンクル、同軸の2枚の雁木車(ちなみに2枚とも歯は雁木 = もはや雁の首の形をしていない)、バランスローラーをもつのが特徴である。
スプリングドライブ
機械式時計の輪列を用いゼンマイを動力としながら、脱進機部分に発電機を備えクオーツ機構により等時性を制御するものである。進み遅れをクオーツ部分の時刻と比較し、発電機の抵抗を増減することにより調整する。
電気式アナログ時計
電気式アナログ時計では、機械式と輪列は同様であるが、動力が伝わる向きは逆である。すなわち調速機構の位置にある動力源(電磁テンプやモータなど)・秒針位置にある動力源(ステッピングモータなど)で駆動する。
なお、伝統的な輪列により時-分-秒針が同期動作するのではなく、複数のステッピングモータを搭載し、時-分と秒針、または時針と分針と秒針を独立に動かせるコンピュータ制御の時計も一部にある。モード切替(ワールドタイム、クロノグラフなど)により針がジャンプしてシンプルな文字盤で多機能を実現するためである。
クオーツ式アナログ時計
水晶発振を分周したデジタル電子回路で、低速のパルス(多くは1Hz = 秒1回)を発生させ、ステッピングモータをそれに応じた角度だけ回転させる。1Hzでモータが60ステップの場合、直接秒針を駆動する。アナログとはいいながら中間の針位置がない(6度刻み)動作になる。現在の電気式アナログ時計の主流である。
石英の結晶が持つ圧電効果は1880年、ジャック・キュリーとピエール・キュリーによって発見された。
石英を使った最初の水晶振動子は、1921年、ウォルター・ケーディ (Walter Guyton Cady) によって作られた。また、1927年には水晶振動子を用いた最初のクォーツ時計がカナダのベル研究所のワーレン・マリソン(Warren Marrison)とJ. ホートン(J. W. Horton)によって作られた。
その後の数十年で、クォーツ時計は研究レベルで非常に正確なものとなったが、真空管を使った非常に精巧な作りだったため、限られた用途にしか使われなかった。1932年には、週ごとの地球の回転率の微細な変化を測定できるクォーツ時計が開発された。アメリカ国家基準局(National Bureau of Standards, 現在のアメリカ国立標準技術研究所)はこれを標準時間用として採用し、1929年から1960年代までの間、後に原子時計にその座を明け渡すまで使われた。1969年、セイコーは世界で初のクォーツ腕時計アストロン (Astron) を製造した。水晶振動子の高性能さと低コストのため、今でも数多くのクォーツ時計が生産されている。
原子時計
原子時計は現在知られている最も正確な時計である。数千年で1秒と狂うことが無い。そのため、その他の時計や時間計測器具の校正に使われている。1949年に最初に開発された原子時計は、スミソニアン博物館に展示されている。これはアンモニア分子の吸収線を利用して作られたものであった。現在では、もっぱらセシウム原子のスピン角運動量から求められている。1967年、国際単位系 (SI) もセシウムの性質を時間基準として採用している。国際単位系では、1秒を「基底状態の 133Cs 原子における2つの電子のスピンエネルギー状態間の遷移に対応する放射が9,192,631,770回繰り返される時間である」と定義している。アメリカ国立標準技術研究所が管理しているセシウム原子時計は、1年で300億分の1秒未満しか狂わない。原子時計には水素やルビジウムなど、セシウム以外の原子も使われている。ルビジウムを使ったタイプは小さく、電力が少なくて済み、安価でもある。
音叉時計
アナログ電子回路を発振させた電気振動で電気音叉を駆動し、その先についた爪で秒針同軸の円盤に刻まれた細かい歯車を送る機構。アナログ電子回路では1Hzなどの低速のパルスは精度よく発生しにくいため、このような機構が発明された。小型化され腕時計にもなっている。
温度差式時計
1928年ニューシャテルの技術者ジャン=レオン・リュッター (Jean-Leon Reutter) は気温の変化により駆動される時計を発明した。
丸型でガスと塩化エチルが注入されたタンクが取り付けられ、その温度変化による膨張収縮によりアコーディオンを動かしゼンマイを巻き上げる構造になっている。15℃から30℃の間で1℃の温度変化が生じれば2日間動く。
この原理を利用し1936年よりジャガー・ルクルトが「アトモス」の名称で発売している。
時計メーカーの誕生
時計メーカーは、鍵屋 (Locksmithing) や宝石屋 (jeweller) のギルドから生まれた。ただし時計製作を専門として大量に作るメーカーが登場するのはかなり後のことである。フランスで時計作りの中心地だったのはパリとブロワだった。特にヴェルサイユの時計職人ジュリアン・ル・ロワ (Julien Le Roy) はケースデザインと装飾で当時のトップだった。ル・ロワ家は5代に渡る時計職人の家であり、同時代の記録には「フランスで一番技術に優れた時計職人であり、恐らくヨーロッパでも一番である」と書かれている。ジュリアンは特殊な周期機構を発明し、時計の精度を向上させた。彼の時計は文字盤を開けると内部の動きが分かるように作られており、彼が製作あるいは監督した時計は3千5百に上る。他社や他の技術者との切磋琢磨によって、時計の正確さはさらに増していった。
フランス革命期の1794年から1795年にかけて、フランス政府は時刻表示を十進化時間とすることを宣告し、1日を10時間に、1時間を100分に分けた。天文学者で数学者のピエール=シモン・ラプラスは、他の多くの人と同様、自分の懐中時計を10進法に変えたことが知られている。テュイルリー宮殿の時計は1801年まで10進法で時間を表示していた。ただし時計を10進法にすることは天文学者にとっては意味があったが、一般市民にはさほどメリットが無かったため、経済的な理由もあり、メートル法程には広まらなかった。
ドイツでは、ニュルンベルクとアウクスブルクが時計生産の中心地となり、とりわけシュヴァルツヴァルトは木製の鳩時計の特産地となった。イギリスも17世紀、18世紀には時計製作の中心地の一つとなった。スイスもユグノーの職人が移り住んできたため時計生産の中心地の一つとなり、19世紀にはスイスの工業は「世界で最も高品質な機械時計が作られている」とまで称されるようになった。ワルシャワのアントーニ・パテック (Antoni Patek) とベルンのアドリアン・フィリップ (Adrien Philippe) のパテック・フィリップは当時の主要な時計メーカーである。
腕時計の誕生
腕時計は1800年頃に、王族や貴族の女性のための美術品として歴史に登場した。1879年には、ドイツのジラール・ペルゴー社が軍用品として2000個の腕時計を製作している。1900年にオメガは腕時計を商品化したが普及することはなかったと言われる。もっとも、1890年代の写真には、腕時計をした軍人が写っている例も多く見つかっている。
1904年、南米のパイロット、アルベルト・サントス・デュモンは、親友のフランスの時計職人のルイ・カルティエ (Louis Cartier) に、懐中時計に代わる、操縦に適した腕時計を依頼した。カルティエの開発したサントス腕時計(Santos wristwatch)のデザインが社交界で評判となり、販売されたことから、紳士用腕時計が普及することになった。
懐中時計よりも戦闘に有利な腕時計は、第一次世界大戦において将校たちに着目され、さらに(懐中時計は中流階級というイメージがあったため、)下士官兵はもっぱら腕時計を買い求めた。高度な戦略が必要な砲兵や歩兵の将校にとって腕時計は欠かせない存在であった。操縦に適した腕時計は、空中戦に臨むパイロットたちの必需品となった。 そこで軍の請負業者は歩兵やパイロットのために腕時計を一括して大量生産した。第二次世界大戦ではアメリカのパイロットの間ではA-11と呼ばれる腕時計が流行した。それは文字盤が黒地に白字とシンプルで見やすかったためである。
日本における時計
「とけい」という語の漢字は元々は「時計」では無かったとも言われる。「とけい」の語源には諸説があり、中国の日時計「土圭」とする説、「時計」が「ときけい」から「とけい」に訛ったとする説などがある。用例としても初期には「時計」以外の文字が多く、1491年の相国寺の記録蔭凉軒日録には「秀俊公置斗景計?」とある。また、1684年の山城国の記録雍州府志には「土圭」の文字で記事があり「自鳴鐘倭俗謂土圭。元自阿蘭陀国来。」との説明がある。この他、時辰儀とも呼ばれた。「時計」の字の初期の用例として、日本国語大辞典第2版は1688年の日本永代蔵「昼夜の枕にひびく時計の細工仕掛置きしに」を挙げている。
中世まで
日本で最古とされる時計は660年に天智天皇(当時は中大兄皇子)が作らせた水時計であり、漏刻と呼ばれ、遣唐使によりもたらされたものだった。これはサイフォンの原理で複数の水槽をつなぎ、一定速度で水が溜まるように工夫されたものであった。この装置は管の詰まり防止や凍結防止などへの配慮、読み取った時刻の伝達などが必要であり、奈良時代頃には漏刻博士2名と守辰丁20名などで運営されていた。
日本では長い間、水時計が使われ続け、1595年の羅葡日辞書にも「トケイ、ラウコク」の項がある。なお、900年頃に日時計が使われていた記録もある。ただし、時代が下って戦乱の世になると、置時計である漏刻はあまり活用されず、日の出から日の入までを6等分した不定期法が使われるようになり、時計を使う習慣はやや廃れた。(不定期法による時刻管理自体は昔から行われており、延喜式にも記録がある。)
西洋時計の伝来
西洋式の機械時計がもたらされたのは1551年にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に献上したものが最初とされている。また、1601年には1581年製の時計が徳川家康に贈られ、今でも久能山東照宮に保存されている。
西洋では季節によらず、1日を24時間に分けるため、同じ時計が1年を通して使用できる。しかし、日本では室町時代ごろから日昇から日没までの時間を6等分するいわゆる不定期法が使われるようになったため、季節によって「一刻」の長さが変わり、西洋時計をそのまま使うことはできなかった。
和時計
17世紀に鎖国が始まってから、戦国時代に伝わった西洋時計の改良が日本独自で行われた。この時計を和時計という。西洋では季節によらず、1日を24時間に分けるため、同じ時計が1年を通して使用できる。しかし、日本では季節によって「一刻」の長さが変わり、このための工夫が必要だった。この他、比較的小型の「枕時計」、4つ足の台の上に置かれた「腰掛時計」などが多く作られた。
なお、一般の家庭に時計があるわけではなかったので、公共機関が櫓で鐘を叩いて時刻を知らせるサービスがあり、時鐘と呼ばれた。時鐘は昼間の時刻のみを知らせるもので、鐘を鳴らす時刻は和時計や香盤時計などで測られた。それらの時計は正確なものではなかったが、複数を用いることで正確を期し、また、晴れの日には日昇時と日没時に補正ができるため、時鐘自体は比較的正確に運営された。
明治以降
明治になると鎖国が解かれ、また、時刻もグレゴリオ暦採用に合わせて24時間均等割りに変更されたため、西洋式の時計が再び使われるようになった。当初は輸入に頼り、仕入れた時計は飛ぶように売れた。国産時計は1892年に服部金太郎が作った精工舎で始められ、3年後には輸出も行われるようになった。